こんにちは。60歳おひとり女子、夢葉いつよです。
ある通勤中の出来事が、ふと心に引っかかりました。
乗換駅に着いたとき、私の目に入ったのは、小さな車いすを自力で操る若い女性の姿。おそらく30代くらい。彼女の後ろには駅員さんが付き添い、小さな銀色のスロープを手にしていました。どうやら、彼女は私と同じ電車で到着したようです。
改札をスムーズに抜けた彼女は、私と同じ方向へ。駅員さんは、電車の乗り降りのサポート係として同行していたのでしょう。きっと彼女は、出発駅からずっと、何人もの駅員さんの助けを受けながらここまで来たのだと思います。
「自由がない」と言ったあの人の言葉
この光景に触れ、30年近く前のある出来事を思い出しました。ボランティアで脳性麻痺の男性をサポートしていたときのこと。彼がぽつりと私に言ったんです。
「僕たちは、電車の車両すら選ぶことができないんだよ。」
私は彼が外出するたび、電車や駅、あちこちに連絡し、周囲の協力を得て準備をしていました。当時の私は、「これだけサポートがあるのに、なんて我がままなんだろう」と思っていました。
でも今ならわかります。「自由がない」というのは、選択肢がないということ。これは、とても窮屈で切ないことなんですね。
障害者が外に出る意味
介護福祉士養成校で、講師の先生がこんなことを言っていました。
「彼らが外出することで、後に続く障害者の道が開かれるんです。」
当時は今よりずっとバリアフリーの意識が低く、道幅も狭く、エレベーターも少なかった。でも、あの頃にたくさんの障害者が一歩を踏み出してくれたから、今の環境があるんですよね。
それでも、まだ駅でスロープを使わなければ乗り降りできない現状を見ると、「ユニバーサルデザインが進んだ」と言われる今も、まだまだ道半ばなのだと感じます。
私たちも“予備軍”
日本は今や超高齢社会。年を取れば、多くの人が何らかの障害やサポートを必要とするようになります。要介護認定を受けていなくても、支えが必要な高齢者は少なくありません。私自身も、高齢障害者の“予備軍”です。
「私が楽しく、安全に暮らしていくこと」——それは、私自身のためだけでなく、これからの社会全体にとっても意味のあることなのかもしれません。
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